しとしと落ちる

創作、雑多、日記

みどりのそばで、④

 混雑のピークが終わり、14時に遅いまかないを食べる。「翠ちゃんは今日も家なのか?」トマトクリームのパスタをフォークに巻き付ける俺に、真澄さんが声をかける。客の出入りが落ち着いたときは、真澄さんもカウンターの奥で、屈んで珈琲を飲んでいる。

「家ですね。仕事も家でできるので、外にはあまり出ないです」

「絵が描けるっていいよなぁ」

「まあ、すごいですよね」

 店には翠が描いた絵が3つ飾られている。何を描いているのかは、本人も曖昧な部分があるようだ。もちろんテーマはあるがそれを語ろうとはしない。タイトルも、付けてしまうと先入観が生まれるからという理由で付けていないらしい。真澄さんが仕事として依頼し、飾っている絵を見て、ノーチェスに来た客が翠を知りたがることもあった。良い宣伝にもなっている。

「病院とかには?」

「行かないんですよね。薬も飲んでいないと思います。以前、もらったやつをまだ大量に溜め込んでいるので」

「症状はそんなに出ていないの」

「落ち着いてはいます。……不眠は、まだ続いていますけど」

 そうか。

 店にいた最後の客の会計を済ませたあと、真澄さんは片付けを続けながら、俺の様子を伺う。視察されているな、と感じるけど不快感はない。

「瀬名は、なんともないの」

「俺ですか?……なひでふね」

 パスタを頬張り、答えた。正直、量が多い。けど家であまり食べないから、ここのまかないだけで栄養を補っている感は否めない。

「翠ちゃんと一緒に住むって聞いたときは、ビビった」

「それが普通の反応だと思いますよ。俺もどうかと思うから」

「そして翠ちゃんがそれを承諾したことにも、俺は本気でビビった」

「怖がりですね、真澄さん」

 食器を食洗機にかけたあと、真澄さんは再び珈琲を飲む。根っからのカフェイン中毒だと聞いた。酸味よりも苦味を愛する、とも。

「これ、また渡してね」

 冷蔵庫からタッパーを取り出す。俺が今朝渡したものだ。開けるとオムライスが入っている。

「食べてくれてるんだろ」

「完食していますよ。よほど美味しいらしい」

「嬉しいねぇ。俺の料理しか食べていないんじゃないか!」

「そんなことはないですが」

 食べ終わった皿を持って行こうとすると、手で制され、真澄さんが運んだ。

「もう客はいないから、ゆっくりしてろよ。どうせ夜もバイトだろう。よく働くねぇ」

「フリーターなものですから」

 自嘲気味に言うと笑ってくれた。

 真澄さんはいつだってそうだ。今も昔も変わらない。俺たちを刺す悪意の視線だとか、言葉の刃とか、そういうものは一切持ち合わせていない。表面上だけかもしれないけれど、それでも俺の周りでは希少だ。悪意と憎悪よりもタチの悪い、好奇心。関わってくるやつらのほとんどが、それを隠すこともなく、平気で荒らしていく。

「お前ら、これからどうすんの」

 なんとなく訊ねられる未来の話。

 俺と翠の。

「落ちるだけですよ」

「落ちる?……どこに?」

 人差し指で店の床を差す。真澄さんの視線が下を向き、またこちらへ戻って不思議そうな表情をする。

どん底、です」

 それは悲しすぎるぞ、瀬名。

 真澄さんの言葉が反芻するけれど、俺は敢えてその言葉の意味を考えない。二人で一緒に落ちていくのなら、悲しくもないし、そもそも俺たちはその場が似合っている。

深夜に聴くジブリ音楽の心地よさ

 ジブリ作品が好きだ。特に詳しいわけではないけれど、子どものときと大人のときとで、印象がまったく違う。「紅の豚」と「耳をすませば」は何度観ても飽きないし、一度では気づかない発見もある。

 「紅の豚」を視ているとき、私はジーナに強い憧れを持つ。

 「アドリア海飛行艇乗りは、みんなジーナに恋をする」と言われる、高根の花。けれど決して気取っていなくて、美しくて、芯の強い女性。彼女は今までの夫たち全員と死別している。「もう、涙も枯れちゃった」と話すジーナの表情は、懐かしさと底の見えない絶望と、それでも生きていく強さが垣間見えて、私はすごく好きだ。

 『マルコとジーナのテーマ』という曲があるのだけれど、夜に聴くと彼らの恋路を想像して、どうしようもなく心地の良い胸騒ぎがするのだ。彼女は本当に大胆に恋愛をしていると思う。大胆だけれど、静かで、粘り強い。その矛盾が美しい。

 

 「耳をすませば」って、純愛だと思う。

 勉強よりも物語を書くことが好きで、それに没頭するなんて、よく考えたら誰よりも将来を見据えていると思う。物書きなんて、とお姉さんやお母さんは頭を悩ませているけれど、お父さんだけはそっと、力強く後押しする。雫の好きなようにやってごらん、と。夢を追うって素敵で、恋愛をしているからってお互いの夢がぶれることもなく、それぞれがそれぞれの道を進んでいく姿が、キラキラしている。きっと、聖司がイタリアに行くと行ったとき、いやだとダダをこねる雫であったならば、二人は全くうまくいっていないだろうし。最終的に雫は、色んなことを知っていないと物語は生まれない、だから勉強をする、と決めるのだけれど、中学生でそんなことが素直に言えるのはすごい。

 『カントリーロード』を小学生の時にリコーダーで吹いた。私は、あの「地球屋」で演奏しているおじさまの一員になったつもりで吹いていた。雫の歌声と、聖司のヴァイオリンの音色を聴いて、楽器を取り出して音を重ねていく。音楽に言葉はいらなくて、愛だけがあそこにある。

 

 ジブリ音楽を流すと、頭の中にその作品の映像が流れてきて、観終わった時の感動だとか、あの力の抜けるような心地よさだとかを味わえるから好き。どこか懐かしくて、切なくて、哀しい、愛しい…色々な思いが溢れる。次は、どの曲を聴こうか。

みどりのそばで、③

 翠が珍しく眠った。6畳の和室は翠の寝室となっており、そこに布団を敷いて彼女は寝ている。布団一式と木製の箪笥、机。机の上には灰皿と、文庫本が3冊、白い鉢植えに植えられたパキラが隅に飾られている。それだけの部屋だけど、翠がいるだけで額縁に飾られた絵のように思える。当の本人は膝を抱えるようにして眠っており、微動だにしない。微かな寝息が聞こえる。これが聞こえなかったら、生きているのか死んでいるのか、ただの人の形をした器なのかさえ疑わしい。

 久々に眠りについた翠を起こしたくなくて、隣の部屋に移った。そこは俺の部屋で、シングルベッドと二人共同のハンガーラックだけしかない。俺は翠よりも持ち物が少ないのだ。

 夜中の2時過ぎ。バイトがあるのに、今度は俺の方が寝付けない。スマホを見るけれど、たいして誰からの連絡も来ていないし、特出すべきニュースもない。読みかけの小説(翠から貸してもらった)を開いて、薄いスタンドライトの元で読み始める。字を眺めていたら眠気も来るだろう。そう思い、黙読する。

 加害者と被害者が恋に落ちる話だ。

 ストックホルム症候群なんて、心的外傷だろうに、それを恋と表すこの作者の神経を疑う。

 これを翠が読んでいて、あえて俺に貸す意味を考えるべきだろうか。……胃が逆流しそうだったのでやめておいた。彼女の真意はわからないままでいい。わかろうだなんて、奢りでしかない。小説を枕元に置いてスタンドライトを消す。真っ暗になった部屋の天井を、ぼうっと眺める。目を閉じても閉じなくても、俺の行く道に光は差さない。そのまま少しだけ思い出話に浸ってみる。

 むかーしむかしの、わらえない話。

 翠のことを、まだ「おねえさん」と呼んでいたころ。そして、俺が「おとーと」と呼ばれていたころ。彼女は今よりも喋っていたはずだ。俺の記憶違いでなければ……よく笑っていた。笑顔の翠を思い出そうとするけれど、変にもやがかかって輪郭が曖昧になる。鮮明に表情を起こそうとするけれど、それはいつも失敗に終わる。理由は簡単だ。俺が壊したから。これ以上ないほど再起不能に、遠慮も容赦もなく。自分の保身のために逃げた結果が、あれだ。

「うーん、けっきょくネガティブなことしか考えられないんだよなぁ」

 独り言。

 聞いているのは俺ひとり。

 ベッドの端に時々現れる幻覚は、今夜はやってこなかった。

 

 

 目覚めると、視界が歪んでいた。あまり眠ることができなかったせいだと気づいた。目を強くこすりながら寝室から出ると、すでに翠が起きて煙草を吸っていた。相変わらず、薄い寝間着のまま素足でいる。寒さを感じないことはないと思うんだけれど、そういうことに無頓着なだけかもしれない。昔から、そういうところがあった。翠に何か話しても、斜め上のところから答えが返ってくる。それじゃない感というか、思考回路はどうなっているんだと解明したくなるというか。足の裏でガラス片を踏んでも、人から指摘されて気づくような人だ。痛みやありとあらゆる刺激に対して、鈍い。

 今も寒さなんて、本人にとってはどうでもいいことなのだろう。

 俺に気づいて、「4時間も寝た」と話す。4時間。何日も眠っていない人が眠れた時間としては、とても短い。珈琲を淹れて、翠と一緒にソファに座る。良い香りが立ち込める部屋で、俺たちだけの時間が流れる。無言で、静かで、だけれど穏やかとは程遠い。

「少しでも眠れたのなら、よかった」

 本心だった。眠れていないあいだ、翠は何をするでもなく、ひたすら煙草を吸ったり読書をしたり永遠と古い映画を観たりしている。近所にある古本屋を営む老夫婦は、翠が訪れるたびにささやかな茶菓子をくれるらしく、そしてそれを翠はあまり好まない。甘すぎるのだ、彼女の口には。俺が食べることになるけれど、確かに、甘い。そういえば、まだ饅頭があったっけ。

 饅頭と珈琲を食べ終わり、シャワーを浴びる。ひんやりするので、眠気覚ましにちょうどいい。

 バイトに行く前、ちらりと古本屋に寄ってみた。まだ開店していないので、シャッターが閉まってある。老夫婦のお爺さんの方は、若い頃から耳が聴こえないのだそうだ。店はお爺さんがしているので、翠がどうやってお爺さんとやりとりをしているのかは知らない。

 

 

 

 

みどりのそばで、 ②

 9時までに洗濯物と皿洗いを済ませ、シャワーを浴びる。この時期の風呂場はタイルもひやりとしていて、足の裏の皮膚がそのまま引っ付いて剥がれてしまうんじゃないかと心配になる。換気扇を回しているけれど、戸を開けるといっせいに湯気が部屋へ逃げていく。先ほど畳んだばかりのタオルで髪を拭きながら、「何時?」と聞こえる声で翠に訊ねる。

「9時、ちょいすぎ」

 ということは30分かそこらだろう。翠は時間にルーズな部分があるので、30分過ぎを「ちょっと」で済ませる。

 身支度を済ませて、ソファの定位置に座る彼女に「行ってきます」と声をかけてから、家を出た。

 

 けっきょく自宅に帰ってこられたのは日付を跨いだ、夜の濃い時間だった。休日ということもあって、喫茶店も居酒屋も客が多かった。双方のバイトの間の時間も、自宅には戻らず適当に時間を潰していたので、翠とは11時間ぶりになる。

 部屋の中は、リビングだけ電気がついていて、そこにぽつんと翠がいた。

 彼女は朝と同じ服装で、寒いだろうに暖房をつけておらず、ただじっとそこにいる。変わっているのは、灰皿に溜まったマッチ棒と吸い殻の量だけだ。

 俺がいない間も眠れなかったのか、いっそう疲労感が顔に蓄積されている気がする。

 しかし彼女の利点ともいえるべきは、その疲労感がやけに色っぽく映るところで、雰囲気がよりいっそう増したというところだろう。なににせよお得な顔立ちをしていらっしゃることは確かである。

「飯、なにか食べたのか」

「菓子パンを食べた」

「それだけ?真澄さんが、翠にもどうぞってまかないの残りをくれたんだけど、いる?」

 真澄さんというのはノーチェスのオーナーだ。

 俺がノーチェスで働かせてもらう前から色々と世話をしてくれている人で、翠と同居していることも知っている。彼女があまりにも細くて折れてしまいそうだから、翠専用のタッパー(100均の、桃色の蓋のやつ)にまかないを詰めてくれるのだ。

 机に置くと、無言で手を伸ばし、タッパーを開ける。

「ほうれん草ときのこのキッシュだから、温めないと美味しくないよ」

「あ、そうなの」

 言って、タッパーを返される。そこから一歩も動かないつもりなのか。

 翠はソファに寝転がって、またぼんやりしている。

 俺から見るとただぼんやりしているようにしか見えないけれど、彼女自身は何か四方に思いを駆け巡らせているのかもしれない。……いないのかもしれない。

 レンジで温めたキッシュを完食したあと、翠はおもむろにアコギを手に取った。彼女は機嫌が悪くないとき、こうしてギターを弾く。歌も上手なのだ。俺はすぐ傍に座って、器用に指を動かしながらアコギと向き合う彼女を見つめる。少し深く息を吸い込んだあと、翠の指が弦を弾き始める。

 この曲はなんだっただろうか……。

 あまり音楽を聴かないからわからないけれど、確かにどこかで耳にした覚えがある。なにかの、映画の曲だったような……。

 目を閉じて、心が苦しくなるような音色に意識を集中させる。翠のそばで、俺はいつもこの音を聴いている気がする。そんなはずなはないのに。雰囲気に後押しされて、記憶が改善されているのかもしれないが、本当にどこか懐かしく思う。

 翠の細い指先は、弦を弾くたびに皮がめくれ、厚くなっているのだ。人形のような彼女だけれど、その指だけは人間味を感じられる。

「一縷」

 なあに。

 俺は乾いた声で、彼女に応える。いつのまにか曲は終わっていて、部屋の中は静かだった。

 アコギを弾く手をとめて、真黒な目で俺を見てくる。察してよ、と言われているようだった。それでも俺はじっと待つ。彼女の口から聞きたいのだ。俺に、なにを求めているのか。

「知らない誰かが、こっちを見ている」

「──うん。それは怖いね」

「だから、」

「だから?」

「怖くないようにして」

 アコギを立てかけ、ソファに膝をついて翠を抱きしめる。髪を指先で梳かすように頭を撫で、なるべく隙間ができないように密着する。

 この女は、いつまで「一縷」の悪夢を視ているのだろう。俺がいる限り、翠はずっとこのままなのだろうか。

 じゃあ、俺がいなくなれば?

 いったい誰が彼女と一緒に不幸になってくれるというのか。

 翠が求めている男は、もうどこにもいないのに。

 

 

摂食障がいについて

 156センチ。45.3キロ。

 これが今の私の身長と体重だ。平均体重よりかは痩せてはいるが、自分ではこのくらいがいいと思っているし、一般的に見れば「ガリガリでも太すぎでもいない」ラインだと思う。

 こんな私でも2年前は体重が40キロもなかった。べつにダイエットをしようと思ったわけでもない(摂食障がいになる前は48キロだった)。気がつけば食べられなくなっていった。眠れなくなり、何かをするにも身体が重く、ついには食事をすることを放棄した。

 私が食事をするようになったのは、恋人と出会ってからだ。いろいろなお店に連れていってくれて、美味しい料理を口にしたし、なにより好きな人と食べる時間の心地よさを改めて知った。体重計に乗ることもしなくなったし、自分の家で自炊するようにもなった。

 過食をしだしたのは、恋人と出会って半年のこと。1日三食に加え、菓子を大量に買い込み胃におさめる。フルーツグラノーラ1袋は1日で消えたし、アルフォートのファミリーパックは3袋食べた。止まらないのだ。食べたあとに罪悪感が生まれ、水を大量に飲みトイレに駆け込む。甘い吐瀉物を見て、激しく泣いた。それでも止まらないのだ。

 37キロが、51キロになった。

 劇的な体重の変化に身体の方がついていけず、生理が止まり、薬を飲んだ。痩せなきゃいけない、もっと吐かなきゃいけない、もとの体重に戻らないと。その一心で、食事をしたら吐くようになった。細かく言えば、食事をしたあと体重に乗り、自分の中で「これは」と思ったら吐いていた。そしてまた体重を計る、少し安心する、体重を計る、食べる、体重を計る……。私の場合は「お腹がいっぱい」になったら少し吐いていたので、現在はその満腹感が気持ち悪くなってしまう。

 ならば満腹になる前に食べることを止めればいいのではと、友人からも恋人からも言われるのだが、これがなんとも不思議なことで無理なのである。

 いろいろ工夫はした。職場にタッパーを持っていき、残ったものを詰めて持ち帰ろうとしたり、恋人と同棲してからは自分と恋人の食事内容を変えたり、お菓子類を買わなかったり…。

 しかし、すべて失敗している。タッパーに詰めたものは、帰る前に職場で食べてしまう。恋人のおかずもお菓子も食べてしまう。とにかく、「そこにあると分かっていたら」食べてしまう。甘えだと思う。でも自分でもバカだと思うが「後で吐けばいい」という気持ちがあり、手が伸びるのだ。

 当然罪悪感はある。お店でランチをしたり、友人や恋人が食事を作ってくれたりしたとき、歯痒い気持ちになる。あとで吐くかもしれないので食べられません、と心許せる人には言えるけど、恋人のご両親との食事会や職場の先輩のご自宅に招いていただいたとき、出されたものはすべて食べ、吐きたい衝動は必死で堪えた。本当に、必死で堪えている。作ってくれた人に悪い、食べたものがもったいない、そう思いはちきれそうな胃(もちろん胃自体は食べたものをきちんとおさめているのだが、気持ちの面で吐きそうなのである)それは私にとって楽しい食事であるかと言われれば決してそうではない。事前に「私は少食です」と申し、遠慮をし、箸を置く。もちろんそのときは満腹ではないため「美味しそう、食べたい。食べたいけど吐いてしまう。だから食べられない」という葛藤もあるのだが。

 見た目の印象だと、極端に痩せているわけでも太っているわけでもないので、そういう障がいを持っていると気づかれない。

 このままでは一生食べることに怯え、我慢していくことになる。そう思い、今は自分から「摂食障がいです」と話すようにしている。恋人も吐きにいく私を決して責めない。責めないでいてくれる。だから、前より少し楽に食事ができるようになった。

 まだ吐き癖は治らない。前ほど頻繁には吐かないが、1日1回はどこかしらで吐いてしまう。でも吐いたときの快感を得るために食べることはなくなったので、それだけでも私は少しずつ克服していっていると思う。いつか自分の好きなものをお腹いっぱい食べて「幸せだ」と思える日が来て欲しい。

大晦日、そして新年

*ガキ使のネタバレを含みますので、ご注意ください。

 

 新年あけましておめでとうございます。

 2020年になりましたが、特に何も変わらずゆったり時間が流れている。昨夜は家から一歩も出ず、引きこもり干物女と化していましたが、ガキ使が始まるまでの2時間は本当に暇でどうしていいかわからなかった。よかせ家は紅白を録画し、ガキ使をリアルタイムで観る。うちの人と16時からリビングで待機し、「いま何時」「まだや」を繰り返していた。大晦日に外出して寒いなか新年を迎えることが習慣にないので、インスタのストーリーで友人たちがどこかしこに出かけているのを見ては、よくそんなことができるなと呆れ半分尊敬半分の気持ちでいた。

 ガキ使で一番テンションが上がったのは「女王の教室」の阿久津先生が登場したとき。もうだいぶ前のドラマだというのに、当時の彼女がそのまま出てきたのではないかと思うぐらい、時の流れを感じさせない天海さんの美しさ。程よいカオスがより笑いを誘い、腹が捩れるほど笑った。「マーをやりなさい」と冷淡に言い放ち、振り向いて笑いを堪えることができない天海さん…可愛い人だ。

 一番笑ったのは、浜田さんが50回回転椅子に座らせられて、ダッシュしてボタンを押したとき。あの走り方はきっと誰にも真似できないし、浜田さんがという点でより笑えた。なんやねんあの走り方。田中のやらせ疑惑や、毎年恒例の蝶野さんのビンタ、そしてSMAPメンバーの出演。笑いのツボが浅いせいか、ひいひいと笑い続けてお腹が痛い。

 

 ガキ使のグダる時間に、ひょいっと紅白に変えたら、絶対に演歌が流れているのはどうしてなのか。紅白もKing Gnu、Lisa、欅坂、菅田将暉はリアルタイムで観たが、特に欅坂の「不協和音」は最高で、同時に足や手が吹き飛ぶのではないかと不安になるぐらい踊る彼女たちの姿は圧巻であり、不気味でもあった。「僕は嫌だ」の台詞は、本当にこれは表現の一種なのか、本心ではないのかと問いたくなる。平手さんもセンターを務めあげたが、ネットニュースでその後倒れたと目にした。やっぱりあのダンスは体力と気力を根こそぎ消耗させるのだろう。あれを2回も踊った一昨年の紅白はキツいなんてものじゃなかったはず。

 

 そんなこんなで、テレビに齧り付いているとあっという間に年が明けていたので、慌ててうちの人に「あけましておめでとう」と言った。にっこり笑って「今年もよろしく」と返し、何かに気づいたのか一時停止。あまりにも動かず一点をほうけた目で見ているので心配になる。「どしたん」「いや…きみのご両親に挨拶するのに、髪暗くしてない」「…今からやるんか!」「 

 新年早々、うちの人は髪を黒く染めることに時間を費やしていた。律儀な人である。

 

 2020年は私にとっていろいろなことが盛り沢山の年になるだろうなと思う。やりたいことを挙げるとするならば、

 

・植物を育てる。

・料理のレパートリーを広げる。

・貯金をする。

・読書をする。

・仕事と家事の両立をする。

・禁煙をする。

・規則正しい生活を送る。

・お金を貯めて新婚旅行に行く。

 

どれもこれも手が届かない目標では決してないので、計画して実行に移せたらいい。これほど前向きになれるのも、恋人や友人のおかげだということを忘れずに。無理せず張り切ろう。

今年も、ありがとう

 目が覚めると、昨夜遅くに遊びに出掛けた恋人が寝息を立てていた。時刻は12時10分。私が寝たのが0時だから、ぐっすり眠ったことになる。寝過ぎて重たい頭をあげ、ひんやりしたリビングへ。

 少し前から風邪をひいていて、喉の痛みが鬱陶しい。なぜ治らないのかというと、煙草を吸うからなのだろう。一昨年インフルエンザになったときも、煙草がやめられなくて喉だけ大ダメージを負ったのだが、それでも時間が全てを解決してくれると知っているからどうでもよかった。たんが出るのが嫌だけど、しょうがない。ネバ付きのある黄色いそれをティッシュに丸める。

 洗濯物を干して、賞味期限の近い卵をふたつ目玉焼きにして食べ、録画番組を観ていたところで彼が起きてきた。朝に弱い恋人がベランダで気怠そうに煙草を吸う姿が好きだ。ふたりでだらだらとガキ使までの時間を持て余していたが、喉の不調を訴えると、生姜と蜂蜜を買いに彼が家を出た。

 そして今、ひとりでレミオロメンの「大晦日の歌」を聴きながらこれを書いている。今日で2019年が終わるという実感がなく、明日から新しい年が始まるのに、なんとなくまだ気持ちは宙ぶらりんだ。何か新しいことを始めたいなと思うけど…特に思いつかないから、まだその時ではないだろう。ああ、100均で買ったお正月のお着物を飾ろう。玄関に可愛いものを置くだけで、心が躍る。

 どうか、素敵な2019年最後の日をお迎えください。

 今年もありがとう。