疲れたね

 

 何が辛いのかよくわからないけど、とりあえず朝起きるのが辛い。仕事へ行くのも辛い。ごはんを作るのも辛いけどお腹はすく。ひどく苦しいだけの時間を、どうやってやり過ごしていいのかわからない。今日も、何もできなかったね。何もやらずに終わって、無意味な一日を過ごしたね。意味があれば、目的があれば、頑張れるのかもしれないけれど、それでもそれを見出すまで時間もかかるよね。私のことを大事にしてくれる人がいるのに、どうして悲しい顔をさせてしまうんだろう。私も大事にしているんだけどね。自分のことは大事にできないね。

 

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今日、考え事。

 

 ベランダでコーヒーを飲みながら、煙草の重い煙を肺に溜め込む。陽だまりの中でぼんやりと、靄がかかる頭はそのままにしておく。明日の仕事のことで億劫になっている人がいるのだろうけど、どんなに億劫になったって、明日はやってくるのだから、それならばせめて、私は今日を思いきり自分の好きなように生きてやろうと思う。ベッドでまだ眠っている風邪気味の恋人のことも、すべて頭の隅においやって、彼が帰ったらひとりぼっちの私はどういう時間を過ごすのか、それを考える。

  昔から重い岩が常に胸にのしかかっている感覚があった。それが原因で自分は死人なのではないか、と思ったしまうほど(この話をすると「死人は苦しいとか感じないから、つまり、生きているって実感していることなのではないの?」と友人Hに言われたのだけど)。煙草がやめられないのは、肺に溜め込む煙が、重くて、苦くて、どんよりとしていて、私を苦しめる無いはずのその岩の理由づけになっているのだろう。苦しいのは岩なんかじゃない、煙草のせい、煙草のせい……。

(AM: 10:27)

 

  彼が帰ってから、買い物をして、お酒を飲んだ。湯船にお湯を張って、くたっとなる。訪れる不安と向き合わなければいけない。それは私を逃してくれない。呼吸がしづらいのは、お湯の中に顔をつけているからだと気づいた。慌てて顔を上げて、息をする。苦しいから生きてる。生きてる。

 優しく肌を洗う。からだを清潔に保つことですら困難だった去年の夏。丁寧に、念入りに、泡立てていく。普段はつけない乳液と、ボディコロンの香り。甘い。清潔なパジャマに着替える。時間は早いけれど、外出の予定はないので気にしなかった。外は雨で湿った空気が淀んでいるから、やっぱり心は晴れない。窓を開けていると、雨音がすぐ近くで聴こえる。

(PM:  16:12)

 

 友人と長電話をしたあと、再び私はこの部屋でひとりになる。なにをするわけでもなく、ぼんやりと雨の音を聴く。優しい音のはずなのに、寂しさを覚える。気づけば、また、浅い傷をつくっていた。いけないと思って、朝食用の簡単なお弁当を作る。さっとできてしまったので、またすることがなくなった。歯を磨いて、煙草の吸殻を捨てて、布団に入るけど、そこでもまた不安はやってくる。いったいどこまでついてくるのか。私を常に見張っていて、ここぞというときに顔を覗かせてくる。「やあ」と軽々しく、白々しく。私を攻撃してくるのかしら、と身構えたけど、どうやら違うらしかった。もちろん、この不安というものは、私の脳内にある靄のようなもののことで、実際に目に見えるものではない。だけど、想像上では、それが可能なのだ。

 不安は、今夜、私を眠らせてくれるだろうか。

(PM:  23:30) 

 

〇〇〇

 江国香織さんの「ウエハースの椅子」を読んで、救われる夜がある。誰しもが幾度も感じたことのある孤独。それとどう向き合っていくのか。そのヒントがわかる気がする。恋人がいなくても、ちゃんとやっている。自分の足でちゃんと立っている。そう思うことは自信につながるし、私という人間の存在価値が確かにあると実感させてくれる。波のように襲ってくる不安と恐怖と焦りで、呼吸が上手くできない日もあるけれど、体を小さく丸めて目を閉じて「大丈夫だよ」と唱える。やりすごすことに慣れているのに、恋人ができてから、うまくひとりでいることができなくなった。誰かの温かみを知ってしまったから、それが無ければ生きていけないという錯覚を起こしてしまって、本当にしょうがないね。

 「安心したよ」という言葉をよくかけられる。「安心した元気そうだね」そのたびに嬉しいと思う反面、悪い癖で「もっと私のことを心配してほしい」という子どもじみた願望が顔を覗かせる。こんなに苦しいのだから、お願いだから、私のことを思い出して忘れないで、そして声をかけてほしいと。友だちにリストカットの写真を送ったり、声を荒げて手を上げようとしたり、いろいろなことをして恐れられていたね。出会い系で知り合った男を簡単に家にあげたり、もはや執着もクソもないセックスをして満足したりした。男友達に迫ったこともあるし、いるはずのない母親の姿を見て泣き叫んだこともある。ごめんなさい、汚くてごめんなさい。職場でも「死にたい」と言って先輩たちを不安にさせて、抱きしめてもらっていた。あれから1年も経っていないのに、まるで遠い昔の出来事のような気がしてならない。どこへいっちゃったんだろう。私が出会った人たちは、みんな、どこへ。

 

はだかんばうの 足

 彼にすべてを要求することは私には絶対にできないんだろうなって思う。会いたいと言ったって「昨日会ったじゃん」と言われるだろうし、口には出さなくても思われるのですら辛い。夜を越えるのが苦しくて、早く眠りにつくようになった。孤独に馴染んでいけるようにしないと、やっぱり爪を噛んでしまう。面倒くさい、と自分で思う。彼と出会って救われているはずなのに、私はどこにもいけないまま、またあの暗がりで耐えているような気がしてならない。もうやめようよ、ともう一人の私が言う。誰かを恨むことも好きになることも、自分には向いていないんだろうか。偏りができて、溝が生まれて、膿が溜まっていくような感覚。誰かに自分の気持ちをぶつけることに、勇気なんか要らない。どうせ聞いてもらえないという諦めから口にするその願望が、もし叶えられたのだとしたら、私の歪みは補修されてるんだろうね。だけど、それは彼の生活、あるいは人生をおかしくさせてしまう。私のことを好きでい続けてもらうためには、お互いのことをちゃんと考えて行動するべきだよね。

 自分のことを受け入れてくれている安心感に浸っていると、いざそこから出ようと思っても、なかなかできない。安全だと思ってしまったら、ずっとそこに居続けていたいと思ってしまう。関係が変わっても、それは同じこと。たとえば男と別れたとき、恋人という関係は終わってしまったけど、まだ彼の傍にいても許されると思ってしまう。安全だったから、まだ離れられない。恋人でなくてもいいから、傍にはいたい。そんなバカみたいなこと、相手からしたらとんだ迷惑だろうし、今考えても子どもだったと思う。でも、そうでもしないと生きられなかった。

 温かみのある人になりたい。

 やさしさを与えられるだけじゃなくて、与えていく存在になりたい。自分の価値をむやみに人に決めてもらうのではなく、自分でしっかり認めていけるような人間になりたい。弱さをひけらかして、怯えているのではだめだ。そんなことを考えると夜がいくつあっても足りないから、明日のことを考える。明日のこと。大好きな彼とのこと。読みかけの小説のこと。照らされた部屋。物悲しい音楽。ひとりの私。くまのぬいぐるみ。笑いかけられている気がして、思わず抱きしめてしまった。

 高校生のころから、ひそかにブログを応援していた人がいる。デコログ、ツイッター、ブログ。その人のしているSNSを探してはこっそり読者になって、写真やつぶやきや文章を読んでは、涙を流したり頷いたりしていた。その人は絶望的で、美しくて、きっと語れない部分も多くて、孤独だったのだろう。だが、最近、よきパートナーと出会い、笑顔が増えるようになった。今までの人生の暗い部分を、このときの幸せのための踏み台にしてやると言っていた。出会いが人を変えるとあるけど、本当なのだろう。なんだか今まで見てきた彼女と違う彼女になってしまって、寂しさもあるけれど、私はけっきょくどちらの彼女も大好きなのである。

暑くなってきた

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 外に出ることが億劫になるぐらい、日が照りつけている。夜になると涼しいのに、昼間はどうしてこんなに暑いんだろう。帽子をかぶっていないと、頭皮が痛くなってくる。ゴールデンウィークだから、どこへ行っても人が多くて、待ち時間が長い。そこにイライラしても、しょうがないことだけど。

創作と、雑記

 きっかけは、小学5年生の席替えだったと思う。私の隣になった男子は、あからさまに私の机から距離を置いて座った。クラスで発言力のある活発な男子だった。内心、私は彼と隣になれたことを誇らしく思っていた。くじ引きとはいえ、運命が私と彼を結びつけたのだと。しかし、そんな私のばかげた夢は、彼のあきらかな「嫌悪」のもとに粉々に砕け散った。

 周りの子たちは机をぴったりくっつけてるのに、どうして彼は机を離したのだろう。

 そんなことを訊く勇気も湧かず、そして彼はすぐに後ろの男子と話し出したため、機会を逃した。しかし、聞いてしまったのだ。その日の放課後。階段の踊り場で、友達と騒ぐ彼とすれ違うとき、そのうちのひとりが彼の背をたたいて耳打ちした。まるで蛆虫を見るような目で、私を見ながら、「デブが来たぞ」と。

 衝撃だった。

 羞恥心でどうにかなりそうだった。デブ。確かに、平均的な体重より私は太っている。足も遅いし、馬飛びはいつも馬の役だった。身体測定が億劫で、体重計に乗るのが恥ずかしかったし、みんなのスタイルを羨ましいと思っていた。でも、まさか、男子たちから「デブ」と陰口をたたかれるほどだったなんて、思ってもみなかった。

 その日から、私の心が、食べ物を受け付けなくなった。

 大好きだったお母さんのシチューも、近所のパン屋で売られているあんドーナツも、献立を楽しみにしていた給食も、一口を食べることに時間がかかったし、飲み込めず吐き出してしまうこともあった。食べることが嫌いになったのに、頭のなかは食べることへの恐怖と執着でいっぱいになった。苦しいなぁ、と思う時間が長くなって、中学に入学するころには、160センチの私の体重は36キロになっていた。

 

 ここまで書いてやめた。映画を観ながら、だらだらと頭に浮かぶ1シーンを文章におこすのは、時間の浪費だ。平日の昼間に何をしているんだろう。ネイルは禁止なのに、淡いピンクのネイルを塗った。こういうのって、ささやかな反抗のようで好きじゃない。いったい何に対して?といった感じだけど。食べ物を胃にいれて、すぐに吐き出すという行為は、今でもやめられない。これも何か、意味のある行為だったならよかったのに。涙が溢れて、夜が来て、苦しいだけの時間を誰かと共有する、虚しさ。そこに恋人がいてくれているのに、未だに彼との距離が掴みづらい。手に届くところに、孤独があってほしい。

 この文章をタイピングしていると、ネイルが少しはげてしまった。私の内面も欠けたような気がして、思わず「あっ」と声が出る。でもすぐに元から完璧ではないということを思い出して、すぐにネイルは気にならなくなった。

 交流していた友人も忙しくなって、私と会ってくれなくなった。そういうことも受け入れられている。以前は、それすら理解ができなくて、すべて嫌悪感でもみくちゃにして奥歯で噛んで、味のないガムみたいに吐き捨てていた。それでも許されていると思っていたし、私は私だという自己中心的な考えに取りつかれていたからね。でも、今は違う。私は私なりに、自分と向き合いつつあっているよ。だから、嘔吐も耐えられる。この時間は無駄だし、行為に意味はないけれど、それを告白することで私は私を認められる。

過去は過去のこと

「難しいことを、よく考えているね」と、恋人によく言われる。

 

 私の言うことをきいて、「理解ができない」とも。

 それはそうだ。私は私で、私の考えていることは、私にしか理解できないのだから。彼は「なんとかなる」という考えなのだろうけど、残念なことに、「なんとかなる」という心情で一日を乗り切られるほど、私の置かれていた現状は私にとって息のしやすいものではなかった。

 だから、そういう考えができない。

 同じ状況にたってみればいい。

 わけのわからないことを言い出す母親。その最初の標的にされた、まだ幼かった私。激しい口論を繰り返す両親を、じっと眺めて、息を潜めていた。ひどく怖い夜もあった。優しい母を、求めて泣いた。母は、どこか遠くにいて、戻ることはなかった。

 こう書くと、やすい小説の1シーンのようだ。笑える。

 

 今が楽しければいい、と言う。

 もちろんそれはそうだ。今が幸せで、満たされている。

 だけど、どこかで思う。

 私には、あの暗がりがお似合いなのではないか、と。

 危なっかしくてどこに転ぶかわからない、ほんの少しの優しさで涙を流すような寂しい夜を、もう一度過ごせるなら。その闇に懐かしさと、闇に浸る自分自身に愛しさを感じられるほど、もうあれは過去になっているのだなと実感できる。