しとしと落ちる

創作、雑多、日記

布団の中で

 子宮の中で動き回る子の存在を確かに感じながら、慎重に日々を過ごしてきた。何をするにも過敏になって、気にかけの言葉すら煩わしく感じ、日毎に変化する自身の体に愛おしさと畏怖の念を抱いた。最近は胎動を認知しだして、くすぐるような弾けるような感覚があるたびに、そっと撫でている。掌にあたる確かな衝撃。早く母は貴方に会いたい。

 

 年末の大掃除を片付けてから、年越しと年明けの買い物に行き、お互いの家族への菓子折りを選んだ。毎年、年末のガキ使を楽しみにしていた旦那は、今年それがないと知るとがっくりと肩を落とした。大きな体が子どものように縮まる。バラエティの面白さがまるで分からない私は、手に持った金時人参が某ディズニー映画に出てくる雪だるまの鼻のようだと話し、そのまま車に乗り込んだ。空は灰色で、肌が細かく裂かれるのではないかと錯覚するほど風は冷たい。運転する旦那の鼻歌を聴きながら、帰ってから楽しむゲームの攻略サイトを眺めていた。

 

 布団の中が温かくなるまで、旦那にはそばにいてもらう。私より体温が高い彼は、湯たんぽがわりになる。妊娠してからセックスをしていないので、夫婦間での触れ合いが減ってしまった。それが寂しいので、入浴後の保湿クリームを塗る作業を時々旦那にやってもらっている。乳房やお尻は特に時間をかけるため、一人でした方が早く終わる。だけど、下心見え見えの手つきも、お腹に触れる時の胎児を慈しむ手つきもどちらも心地良い。

 布団の中が温まると眠気が襲ってくる。意識を手放す寸前、おやすみ、と実際に言葉に出して伝える。お腹にころんっとした感覚があったから。

 

 今年最後の日という実感が湧かないまま、大晦日をむかえてしまった。年越しうどんの準備の前にリビングの暖房をつけないと。そう思っても布団が充分温まっているので、寝室から出られない。そうこうしていたら、空腹でお腹が鳴る。忙しい体だ。生きている証拠。ありがとう、これからも。