しとしと落ちる

創作、雑多、日記

私は蝉が嫌いだ

 小学5年生の夏休み。自由研究のネタがなく、ほとほと私は困っていた。スライム作りや10円玉をツヤツヤにする方法、朝顔の観察など、みんながやっていそうな研究は、既に5年生になるまでにやり尽くしていた記憶がある。白い画用紙に写真を貼ったり、研究に至った経緯や方法や結果をまとめて書いたりと、とにかく自由研究一つに対しての費やす労力と時間が大きすぎて、もうほとほと困っていた。簡単なものがいい。でも簡単すぎても他の友達が張り切ったものをしていたら、手を抜いたと思われるかも…。そんなことを、クーラーの効いた涼しい部屋でボケーと考えていた。

 そんな私を見かねて、母が「蝉を育てるんは?」と提案し、蝉なんて可愛くもないものを育ててどうするんだと思ったけれど、登校日まで日がなかったので、変にやる気の母と一緒に、近くの神社へ蝉探しに出かけた。

 ガシャガシャミンミンと賑やかな神社で、虫網と虫かごを持って、羽化する前の蝉を探す。木の、低いところにくっついているらしいと、母が目を凝らしながら木を一本一本見ていく。だからどうして貴女はそんなにやる気なのか、童心に返って虫とりを楽しんでいるのか、虫網を振り回す母の姿を少し引いた所で眺めていた。一緒に来ていた弟は、自分の虫かごに、捕獲した蝉をあり得ないほど入れていて、行き場のない蝉たちが苦しそうにジィジィともがいていた。

 けっきょく、昼間に羽化する前の蝉は見つけられず、その日の晩に祖母の家で蝉を捕獲した。穴から出てきて、のそのそと木に登るそれを捕まえたのは弟だった。

 家に戻り、玄関の網戸に蝉をくっつける。写真を撮って、この子が殻を脱ぐのを待つことにした。

 その日の夜に、母の興奮した声が聞こえて弟と一階に降りた。指差された方を見ると、捕まえた蝉が殻を破って、なんとも、緑色に光り輝いていたのだ。羽は透明に近い緑の葉っぱのようで、皺が葉脈のように見えた。明かりをつけたら、この神秘的な色合いが映えないと、フラッシュを焚いて写真を撮る。みんな、ヒソヒソ声で話していた。ゆっくりと殻を破る蝉は驚くほど静かで、本当にこの弱々しい小さな生き物が、あれだけ賑やかになるのかと不思議に思った。

 その次の日、朝起きて真っ先に玄関に向かったが、抜け殻がくっついているだけで、緑色の蝉はいなかった。どこへ行ってしまったのかと、視線をぐるりと天井に向かわせると、隅に、真っ黒い蝉がいた。まさか、昨日のお前なのか?と子どもながらに心の中で問いかけたのを覚えている。あんなに濡れていて、薄くて、弱々しかったというのに。目を逸らさずに、玄関に立てかけていた虫網で、天井の蝉を捕獲しようとしたが、思い切り空振り。

 あの、鳥肌の立つような乾いた鳴き声をギャアギャアとあげながら、壁に突撃し、鏡にぶつかり、千鳥足さながらヨタヨタと飛び回る蝉に、こちらも好奇心より恐怖心が優った。もう悲鳴をあげて一人で狼狽えながら、必死で弟を呼んだ。もう怖くて怖くてしょうがなかったのだ。けっきょく、その蝉は母が捕まえて、写真を撮り、そのまま流した。

 あの時の蝉は、当たり前だけど、もうこの世にはいないだろう。

 写真を現像し、画用紙に貼り付けて、なるだけ書く量を減らしたいが故に大きな文字で『自由研究〜蝉が羽化するまで〜』とタイトルを書いた。夏休み明け、みんながそれぞれ宿題を持って、日焼けした肌で登校してくる。隣の男の子が台風について研究していたので、それをぼんやり読んでいると「読むなや」と睨まれた。ついでに「何やってきたん?」と訊かれたので、「蝉」と短く答え、自由研究を見せると「うわあ、めっちゃ緑やな」と目を丸くさせていた。

 その男の子も、今では私と同じ26歳で。最後に会ったのは10年前。指に刺青を入れて、耳にもたくさんピアスをあけていた。噂によると10代で子供ができてシングルファザーになり、色々分け合って地元を離れ、都会でけっこう派手な生活をしているらしい。そこから消息が掴めていない。

 夏になると思い出す。嫌いな蝉について研究したこと。私が好きだった、隣の男の子のことを。