一歩として

 

    もう10月がやってきていた。金木犀の香り、秋のやわらさ、私の好きな朝。1年前はこの朝が死ぬほど怖くて、台所の包丁は常にガムテープでぐるぐる巻きに固定してあったり、過呼吸と鬱と摂食と不眠でもう自分がなにを背負っているのかわからなかったり、絶望しかなかったな。それでもこうして自殺しなかったのは、あるいは、それを試みたけど失敗してきたのは、なんらかの力が私を生かしているのかもしれない。たとえばそれは、だれかに愛されたい貪欲さだったりする。

     一度でいいからきれいに愛されてみたかった。

     母から向けられたいびつで、とても逃げ道のないような必死な愛とは違った、そして別れてきた恋人や友からのプレパラートみたいな薄い愛とも違う。私はいつだって全力なのに、明らかに違う熱。そこにどうしようもなく苛立ちを感じるときもあったね。

    優しくされたい、甘えてみたい、わがままを言ってみたい、構ってもらいたい、私だけを見て欲しい。そんな要求を相手にし続けたら壊れちゃうのはわかっているのに、どうしてだか、お願い受け止めてってお腹の底から叫びたくなる。そんな相手が次々と代わっていくなかで、もう自分のこのどうにもできない渇きは、一生満たされないんだなとわかった。

    だけど、私は、それでも人を愛してしまうし人が好きだし一人が嫌いだ。

 

    恋人と来年一緒に住む予定なので、不安ももちろんありながらも、ゆっくりお互いのことを想い合うよう努力している。

    嫌だなと思ったら今まで関係が壊れるのが嫌でずっと我慢してきたけれど、彼とは長く続いていきたいので我慢をあまりせず、素直に伝えるようにしている。今までの私からだと考えられないことだ。

    彼も自分が悪かったなと思ったら謝って、正そうとしてくれる。根本的な性格が直るわけではないから、お互い、欠けているところもあるよねと妥協しながら。うまくやっていけているとは思う。一歩ずつ踏み出して、相手の心を思いやっていけばこんなに人との付き合いって楽なんだなと実感した。一方通行だったから、今まで。

    一緒に住むことにまだまだ不安はあるし、まだ体調が悪くて起き上がれないときもあるけど、少しずつ幸せになれればいい。 

 

 

 

「もっとよかせのこと守らなあかんな」

 

「いやぁ、じゅうぶんやで」

 

「泣かせてごめんね」

 

「泣いてねーし、ハバネロだし」