今日、生きた

  仕事も順調だし、天気は大雨だけど体調はいいし、サザエさんを録画するようになってから日曜日の憂鬱を感じることもなくなった。誰かに対して優しい言葉をかけられる余裕もできたし、些細なことで怒らなくなったし、少しずつ自分の中で自分と向き合えてるよ。誰かのためにじゃなくて自分のために生きなきゃいけないのよ。私を大事にできるのは私しかいないから。

 

 今、SNSで少し話題になっているけど、女子高生が自ら電車の走るホームに飛び込む様子を公開していたね。電車の音が近づくと、ぴたっと視線がそちらにむいて、それまで幼稚な言葉で話していた小さな口をキュッと結んでいた。ためらいもなく、ふわっとホームに飛んだ彼女の後ろ姿を画面越しに眺めながら思ったことは、実は少なくて。あとに残される者たちの不満の声や、嘆きや、煽りや炎上や弔いや悲しみをどこにぶつけたらよいのか、ということだった。

  残されたものは生きているから。時間は流れるから。その世界を見限ってしまった彼女に対する思いは、どこにも届かないかもしれない。背負うべき彼女がここにいないので。

  事故を目撃してしまった方や、遅延によりリズムを狂わされた人、同じような状況にあって心を痛めた人や、彼女の死を嘆く人。あまりにも人が多いから、どの声も間違っていないようにも思えてしまうんだ。

  たしかに優しい世界ではなかったね。

  いつも考える。今自分が死んだら、世界はどうなるんだろうって。だけどそこを考えていたらなかなか踏み切れないものもあったんだろうな。死ねなかったでしょう。今私がホームに飛び降りたら、どうなるかな、というところまで考えていたら、彼女はきっと死ねなかった。自殺を推奨しているわけでは決してない。でも、私も、死なせてくれと叫び泣いた夜を経験しているから、一概に「死ぬのやめなよ」なんて軽々しく言えない。

 

  今日、私は生き残った。

  生きることができた。

  だから、精一杯自分を好きでいられる。