逃避、過去へ

 昔を思い出して苦しくなることはある。でも、それはすべて「過去」のことなのだと分かって、整理ができている今、昔ほど辛くなることはない。むしろどこか他人事のようにすら思えてしまう。ほんとうに、私の身に起こったことなのか、誰かべつの人が体験したことなのかわからなくなる。

 以前、夏ごろに書かせてもらった、私の母のこと。↓

http://yokase-oha.hatenablog.com/entry/2017/08/20/092922

 この夜から、母のなかで他人の誰しもが、そして母本人ですら理解できないことが起こる。それはあまりにも突然で、きっかけは本当に些細な記憶の呼び水によるもの。母が夏の夜、私に自分の高校時代のことを話してから、すぐのこと。テレビを観る時間が長くなった。毎日、毎日、音楽番組を流しっぱなし。当時はビデオテープというもので録画をしていたのだけど、同じアーティストの、その3、4分のところをずっと朝から夜まで見続けていた。何かの手違いで録画ができないと、「ぎゃあああああ」と叫んでビデオテープを投げつけるほど混乱していた。彼女は、ある特定のアーティストだけに執着していた。彼らが歌う曲は、私のことであると信じて疑わなかったのだ。次第に家事がおろそかになっていった。朝ごはんが用意されなくなって、洗濯物もずっと洗濯機のなかで、部屋の掃除もされていない。

 父が単身赴任から帰ってきた土日に掃除をしていたけど、父もきっと、この母の変わりように戸惑っていただろう。

 母は「私のことを歌詞にしている。今の私の生活を監視カメラで見ていて、この平凡な生活を歌にして私に届けようとしている」などという妄想を、母方の祖父母にも言いふらし、次第に自分の友だちにまで言いふらすようになっていった。私の小学校の登下校も「ひょっとして悪いやつに連れていかれるのでは」と不安がっていて、ふらふら私を探すようになった。そういう干渉をしながらも、育児に関してはほぼ放棄で、ずっとビデオと妄想の繰り返しであった。それが、3年ほど続いた。

 実は、私はあとから(21歳になって)知るのだが、母の妄想を「おかしい」と思った祖母が精神科に連れて行ったらしい。そのときに統合失調症であると診断され、薬と通院を3年間続けていたらしいのだ。このとき、私は母が病気であるとは本当に思っていなかった。

 

 私が中学に入学すると、母のビデオ狂は収まりつつあった。それと同時に、今度は私への過干渉に磨きがかかっていった。私のすること考えていることを知りたい、一から百まで知っていないと気が済まない、そんな思いだったのだろう。交友関係から学校での過ごし方や成績のことやら、とにかく色々なことに口を出してきた。私としては、もう、パニックなのである。小学校時代にあれほど放置されてきたのに、どうしたんだこの女と、子どもながらに母の変わりぶりに混乱していた。父はこのとき単身赴任が終わり、家にいたのだが、母と喧嘩が絶えず物が飛んできたり、怒鳴り声が夜中まで続いたりと、とにかく居づらい家ではあった。

 それぐらいから、私の過呼吸が始まる。授業には半分以上出られなくなったし、教室という狭いのに人がたくさんいる空間が息苦しかった。保健室にいることが多くなり、遊ぶ友だちも不良が多かった。父と母は何回も学校に呼ばれて、スクールカウンセリングも受けて、救急車も呼ばれて、もう私自身どうしてこれほど苦しいのかわからなかった。父に包丁を向けたこともあるし、部屋のなかのものを壊したし、メトロノームで母の膝を割ろうとしたこともある。(今となっては、境界性パーソナリティー障害の症状なのではと思うけど)

 それでも中学3年にあがるころ、過呼吸の発作がずいぶんと落ち着いて(たぶん不良たちと距離を置いたからだと思う)、それなりに受験勉強も頑張って、高校受験に合格した。