少しずつ

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 繊細に織り込まれて、少し間違えたのか妙なところに皺のあるところを見ると、なんだかくすぐったい気持ちになった。細かいのに大胆で、丁寧。今まではこの待合室で、こういうところをじっと見ようとする余裕なんてなかった。苦しい気持ちは今でも消えないし、傷跡も残っているし、「自分がここにいない」ような感覚も急に襲ってくる。だけど、長い目で見れば、少しずつ良い方向に変わりつつあるんじゃないかなって、そう己惚れてみてもいいだろうか。好きな人がいて、大事な時間があって、愛しいひとりの空間もある。深く息も吸えるようになって、私は戻ってきたことを実感する。

 2月になると、どうしても昔、遠いところで恋をした男の子のことを思い出す。遠距離恋愛というやつで、私の人生のなかで一番「恋愛」であった。曲を聴くだけで涙があふれて、あの人と一緒に見た海を思い出すだけで胸が苦しくなる。今はSNSというものがとても便利になって、お互いに恋人がいるということも知っている。私は今の恋人が一番だし、たとえその男の子が目の前に現れても心は揺るがないと思う。でも、やっぱり、彼と出会ったこの2月がくると胸が痛い。

 皆はどうだかわからないけれど、私もそれなりに男性との付き合いで苦い思いをしたことがある。恋人ではない人とセックスしたり、リスカの跡を見られて連絡がとれなくなったり、三股をかけられていたり。出会ってきた男たち全員では決してないけれど、クズと呼ぶには少し可愛らしい、曖昧な彼らとの記憶は、未だに私を楽しませる。苦いけれど、クセになる。「何しているんだろう」と思ってしまう。そしてできることなら、彼らの前で泣いた私を上書きしたい。私は、あの頃の記憶で楽しめるぐらいの器になったのよと言ってやりたい。それを言われたところで、彼らに何の影響もないことはわかっているのだけど。

 どれだけ昔に浸ったところで、感傷を抱いたところで、人は変わってしまっているのだ。少しずつ、周りがそうとは気づかないほど、少しずつ。私も、みんなも。「変わっていない。自分はだめなままね」と嘆く人もいるけれど、あの頃の自分と今の自分を比べて「変わっていない」と結論を出しているところが、ひとつの変化なのかもしれない。

 「よかせって、変わったよね

 良い意味でも悪い意味でも、最近はよくこの言葉を言われる。「当たり前じゃない」と答えて、周りの目に映る私の印象を聞く。心のなかで、誤解や過大評価や謙遜や主張を繰り返しながら。でも決して、否定などはせずに。

 

「私がいなくなると寂しいん?」

「寂しい」

「じゃあ、私と会わんほうがよかったんとちゃう?」

「それは、違うな」