幸せになれるように

 逃げずに戦えという人と、逃げてもいいという人がいる。

 他人からアドバイスをもらうときによくあるのが、人によって意見が正反対であること。その人の人生経験や過ごしてきた環境によって、導き出される答えが全然違うものになる。それはしょうがないことなんだけれど、下手をすれば「私はどうすりゃええんや」という、更なる迷いを生み出しかねない。「自分の答えを他人から導きだしてもらおうとするな」と叱られるかしら。自分のことは自分で決めるしかない。そんなことはわかっている。誰だってわかっている。

 だけど、答えをだしたその先の未来を予想する力がないと、なかなか決めることが難しい。「〇〇をしたらこうなるだろう」「そうなったら〇〇をすればいい」それらが前向きな考えのもと導き出されるなら、世界はもっと鮮やかだっただろうか。私は自分の未来を明るく考えることが難しい。できない、と言い切るわけじゃない。「できない」とすることは甘えだから。なるべく楽しい未来を想像する。そしてそれが実現できるように、私は必死で考える。

 でも、私は自分の想像する明るい未来に殺されそうになる。こんな未来がくるはずない。自分は何をやってもダメな人間だから。周りから必要とされていないから。愛してくれている人間も離れていく。私は価値のない、クソのような存在だから──。常に付きまとうこの考えが、前向きであろうとする私の邪魔をする。幸せであろうとする私を、私自身が拒んでいる。そういうとき、私は自分の考えを周囲に話したり、こうしてブログで長々と書き連ねたりしている。私の言葉で、私の考えを、私の文章で書くことは昔から好きだった。べつに共感をしてほしいわけじゃない。──いいえ、それは嘘になる。共感してほしい。私のことを認めてもらいたい。イタいと笑われたって、なんだあいつはと指さされたって、かまわない。手探りだけど見つけたい。私が逃げずに、私でいる方法を。

 恋人といる時間が好きだ。愛されていると実感できる。でも、恋人が帰ったとたん「帰らないで」という思いが爆発して、自分を傷つけてしまう。どうしてこうなるんだろう。自分が嫌になるけれど、次に恋人に出会ったとき、私の傷を見つけて「ああ、この子はこんなに苦しんでいるんだ」とわかってほしい……。そんなクソみたいな考えが頭いっぱいに浮かんで、なかなか消えない。子どもっぽくて、甘い記憶に未練たらたらの女。私はこの時の自分の考えがとても嫌いだ。浅はかで、単純で、幼い。ひと昔前、夜に神社を徘徊して男友達に電話をかけ続けてきてもらったときのことを思い出した。あの頃と何一つ変わっていない。

 境界性パーソナリティー障害。治る障害だ。「あなたが心の底から甘えることのできる相手に出会えたら」精神科の医者はそう言って微笑んでいた。バカじゃないの?私みたいな爆弾を受け入れてくれる人間なんて、いないわよ。口でそう吐き続けるけれど、心のどこかで期待してしまう。お願いだから、私を捨てないで。ずっと傍にいて。──だけど苦しくなる。私はあなたといて幸せを感じられるけれど、あなたは?私といて幸せ?この質問に必ず返ってくる「うん、幸せだよ」という答えを、私は信用していない。いつ不幸になってもいいように、常に警戒している。そうすれば不幸を受け入れられて、ある意味、幸せになれるかもしれないから。