雪は積もらない

 SNSやテレビで、雪がたくさん積もっている映像や写真を見るたびに、白い景色が本当にあるのだろうかと不安になる。だって外をいつ見ても、目に飛び込んでくるのは硬いアスファルトの地面ばかり。寒いだけの冬。指先が冷えて、触れられるたびに「どうしてこんなに冷たいの」と笑われる。「末端冷え性なのよ」と答えて、私はポケットに両手を突っ込んだ。

 夢のなかで雪にダイブする子どもっぽい自分がいた。高校の修学旅行は北海道で、そのときに雪というものを初めて堪能した。でも、あの感触を、もうこの手は覚えていない。お土産に買ったガラスの置物もどこに行ったのだろう。写真も……誰と同じグループだったのかも、記憶にない。私の思い出は散り散りで、断片的で、掠れている。それを悲しいとは思わない。しょうがないことだ。相手との思い出を共有できなくったって、私の知ったことじゃない。きっと相手は少しがっかりした顔をするのだろうけど、すぐに私のことを忘れてしまうだろう。それでいいのよ、私のことなんて忘れてちょうだい。覚えているだけ損だから。

 日曜に恋人が帰宅して、ひとりになった部屋で録画番組を見ていた。普段、テレビは見ない。そう答えると周りは「テレビに興味がない」と捉える。私も面倒くさいので、わざわざ「親を殺したニュースを見て、自分が母親を殺してしまったと本気で思って友だちに狂ったように電話をかけて泣きわめいたのがトラウマで、テレビを避けている」とは説明しない。いつだったか、障がい者施設で利用者を無差別に殺傷した男のニュースが流れていたが、それを見てずっと私の職場の子を殺す夢ばかりを見ていた。そういうことから……なるべくテレビは見ないでいたのだけど、数年も経てばあのとき狂ったように吠えていた自分が本当だったのかどうかさえ危うくなってくる。忘れる生き物だから、人間は。

 だから、ここ半年は録画していたドラマやバラエティーを観ている。母と離れているから気も楽だった。その日の夜も、何の気兼ねなしに録画番組を観ていたのだが──いつのまにか、テレビを自分がまったく観ていないことに気づいた。巻き戻そう。そう思って、リモコンに伸ばした手に、カッターが握りしめられていた。その時の記憶がない、なんとなく、そういえば痛いなと思っただけで。ショックだった。

 驚きすぎて、鳥肌と震えが止まらなかった。「何やってたの、私」と何度も自分に問いかけながら、ティッシュで血をふき取る。幸いなことに、傷じたいは浅かったので、血は数分で止まった。眠ることにしたけれど、うまくいかなかった。また、うまくいかない。何度やっても。

 今日の朝も雪は降っていなかった。

 職場に行く前から気分が激しく落ちていて、食欲もなくて、食べたのだけどねちょねちょしたごはんが不味くてゴミ箱行きになった。帰ってもいいと言われたので、そうした。迎えに来た祖父母に言ってやりたかった。「私、何もかもが嫌になっているけど、死にたくはないし痛いのも嫌いなの」と。けど理解はできないだろう。私のことを理解できない。私ですら、どうすればいいのかわからないんだから。愛されても愛されても、その実感が得られない。胸が苦しくなって、どうしたらもっと振り向いてくれるのかわからない。相手に多くを求めすぎていることはわかっている。それに応えられないと知ったとき自分が失望して、攻撃的になることも。大事な人を作れないのも、離れていくのも、全部自分のせいなのに。