待ち時間

診察の、自分の番が来るまで、私は水槽の中で泳ぐ熱帯魚を見たり、隣でひどく貧乏ゆすりの激しいお姉さんの、履いているヒールのつま先に視線を落としたり、精神科という、日常に溶け込めなくなってしまった、あるいは自分の世界に閉じこもってしまった人たちの集まる場所の不思議な感覚をダイレクトに胸に受けて心が死んでいくのを堪えたりしている。この人のどこに闇があるのか。そんな他人の様子を伺える余裕はなくなる。周りの影響を受けやすいので、他人からの重い何かを感じ取りすぎて自分も病んでしまうのだ。

「よかせさん」と、少し高めの先生の声が、もし聴こえなかったらどうしよう。そんな不安も動悸に変わってしまう。目を開けて見るには少しだけ、歪な、でも間違っていない世界がそこにはある。大丈夫、みんな、間違っていない。

感情がブレにくい人と、ブレやすい人がいる。社会に適応しやすいのは、絶対に、ブレにくい人。でも、ブレやすいからといって全部が全部、病気っていうわけではない。取り乱すことだってあるだろうし、ショックを受ければ食事が進まないことだってある。それは人間(というか動物もだけれど)なら当たり前なのだ。でも、自分の考えているうちに、それがグシャグシャになって、泣きたくなって、逃げ出したいのに無理で、叫びたいのに気づいてくれなくて、囲いの中でひとりぼっちでいると、だんだん病にかわっていく。一緒に泣いてくれる人がいないと、こんなにも心細いのだ。

……私の話だけれど、自分の置かれている実情に気づかずにいるケースもある。家の中で行われていることが当たり前で普通なのだから、自分の世界が狭まるわけだ。そこからどうやって抜け出すか、私も足掻いているの。