泳げない

  優しくされてもどうしてこんなに渇きを感じるのか。周りに恵まれてこれ以上ないほど幸せだというのに、どうしてこんなに息がしづらいのか。大事な人を傷つけて自分が自分でない感じがして、世の中をうまく泳いでいけない。私よりもっと辛い状態にある人、辛い思いをしている人、たくさんいるはずなのに。

「私と似た症状の病気はありますか?」

  小さく漏れた声を彼女は聞き逃さなかった。熱帯魚が泳ぐ水槽がすぐ隣にあって、落ち着いたクラシックが流れている。「少し待ってて」と言って、すぐ後ろに陳列されたたくさんの本の中から一冊を取り出して、そのページを私に見せた。「まだ、数回しかお話ししていないけど、症状とお会いしてお話しした時の感じで、これじゃないかなと私は思うのよ」と。

  そこにある境界性人格障害という文字をぼんやりみながら、ああこれか、と思った。納得してしまった。医者の前で言えなかったけれど、「やっぱりな」といった感じ。それに加えて躁鬱気味と自律神経失調症の影響もあるということで、餌に食らいついた魚のように病名がつくものだなと思った。私は、うまく泳げないのに。

  悲しいことにそういう診察の後は妙にテンションがハイになって、タバコをぷかぷか吸ってしまう。2時間しか眠れていないのに目が冴えて、私はなんでもできるのよ、という気持ちになる。麻薬みたい。ずっとこれが続ければいいのに。ひどく耳に障る音がしてそちらを見ると、車が猫をひきそうになっていた。猫が、私の横を走り去っていく。私も逃げてしまおうか。容易く、世界からサヨナラできてしまう。今の私はうまく泳げる。