創作 「心のすきま」⑨

 

 山に囲まれている一軒家なので、秋になると紅葉が驚くほど美しい。同時に、道脇の溝や庭にはらはらと落ちてくる鮮やかな葉をなんとかしなければならなかった。毎年、淡島はこれらをひとりで片しているのだという。秋風が冷たいのに汗をかくのだと笑った。

 そのころ私の体重は2キロ増えていたし、外の光を見ても衝動的な発作はほとんどおさまっていた。きれいに髪を整えて、うっすらと化粧をし、外に出られるまでなっていた。隣家とも徒歩10分はかかるほど離れているので、そこに住む足の悪いおばあちゃんとひとり娘のムラタさんとは滅多に顔を合わせなかった。

 なので、早朝の落ち葉集めが私の日課になっていた。

 淡島が起きるよりも早く目が覚めて、外に出ていることもある。そんなとき、淡島は私のぶんのコーヒーを淹れてくれる。そして二人分の朝食を作る。トーストにムラタさんからもらった無花果のジャムをつけて食べる。不思議と淡島といると食が進むのだ。

「アルバムにもあったけど、すごくきれいね」

「叔父さんは夏が好きだったけど、叔母さんは秋を好んでいた。きれい好きな人だったけど、葉っぱが吸い込まれるように落ちている様子は、ずっと見ていても飽きないって話していた」

「あれだけの量が降ると、大変でしょう」

「だからこっそり俺が掃いていたよ。叔母さんが眠っているときに」

 叔父さんと叔母さんの写真はたくさんあった。おそらく二人がまだ出会ってすぐのころのものだ。叔母さんは華奢でえくぼの愛らしい人だった。叔父さんは淡島とどこか雰囲気が似ている、奔放で自由で瞳が子どものようにキラキラ眩しい。不仲だったという両親の話はしないけど、代わりに二人の話はよくしてくれる。

 私は自由だったことがあっただろうか。

 いいや、あれは私が求めた不自由だったのだ。

 健吾との時間は満たされていて、今でも思い出したくないぐらい胸に刻み込まれている。窮屈で、だけど幸せでゆったりとした時間。どこにも行かず、心を乱すこともなく、誰にも媚びることのなかった私。そして健吾を失った日から、あのアパートに自分を閉じ込めていた私。

「きみが自由にしてくれたのよ」

 トーストを齧りながら、「なんのこと?」と淡島が首を傾げる。

「私のこと。自由にしてくれたの」

 淡島の瞳がきらりと光った。涙ぐんでいるようだった。それには気づかないふりをして、目を伏せる。誰かを失って自由になった、だなんて。以前の私だったら絶対に思わないし、健吾のいない世界なんて考えられなかった。

 でも今、私は彼のいない世界を生きている。

 ずっと息もしやすくなった。

 それは、目の前の男がいるからだ。

「だから聞きたいの。本当のことを」

「本当のこと?」

 私は一冊のアルバムを彼の目の前に出した。さっきまで落ち葉集めでずっと外に出ていたので、乾燥で少し指が切れている。

 実は一度だけ、彼のいないアトリエに入ったことがあった。特に出入りを禁止されていたわけではなかったので、画材や道具を見ていた。そして、見つけてしまったのだ。大切そうに机の引き出しにしまい込まれている、一冊のアルバムを。薄いものではあったが、その中に挟まれていた写真はなかなか衝撃だった。

 静かな驚き。

 写真を見た瞬間、私は微かに自分の体が震えているのを感じた。動揺しているけど、でも、薄々気づいていたことだった。アルバムを自室に持っていき、布団の下に隠した。あの日からまだ二日しか経っていない。

 アルバムを目にして、淡島は今度こそ保温等に泣いてしまうのではないかと思われた。

 私はほんの少し微笑んで見せた。

「一緒にいるの、私ときみよね」

 写真の日付は2年前のものだった。海辺を歩いている私。太陽をバックに仲良さげに頬をこすり寄せている淡島と私。穏やかな寝顔と今も使っているコップでコーヒーを飲んでいる朝。絵具を鼻の先につけて無邪気に笑っている、髪の短い、26歳の私。金色の髪の毛の23歳の淡島ミナト。

「美也子のイトコって、すごくでたらめよね。だけど彼女が話を合わせたっていうことは、美也子とも知り合いだったってことなのかな。ごめんなさい、私……覚えていないのよ」

 覚えていない。

 私は、この写真の中の記憶をきれいさっぱり忘れてしまっている。

 そして私が思い出せる記憶の中に、矛盾がある。

 健吾との6年間はどこにいったんだろう。

「教えてほしいの。私には林健吾という恋人がいて、6年間付き合っていた。その間にほかの男性と付き合ったり、健吾と別れたりしたことはなかったの。……だから、この写真を見てすごくビックリした。きみと私が映っていることにも驚いたけど、それをどこかで受け止めている自分もいたから」

 正直な気持ちだった。

 淡島がどうして私をここに連れてきたのか。同じ空間での生活を望んだのか。淡島は私のなんだったのか。

 鼓動は力強かったけど、ひどく落ち着いていた。健吾の死のときほど取り乱すことは、これから一生ないだろう。だから平然なふりではなく、淡島という男を受け入れる準備が心からできていた。健吾との別れほど受け入れがたい現実はないのだから。