創作 「心のすきま」④

 電話越しで答えに追いつかない質問をぶつけてくる両親への言い訳とか、子どもみたいに淡島に手をひかれて改札口を通るときの羞恥心とか、これからどうなるのかわからない賭けみたいな自分の人生とか、なんだかいろいろなことが、他人事のようだった。

 電話でどもっている私に「代わって」と言って、少し離れたところで私の両親と話す淡島は、なんだか、保護者みたいだった。なにを話しているのか聞こえなかったけど、淡島の言葉でうちの両親はなぜだか納得したらしく、電源を切った携帯が返された。美也子のイトコを名乗るこの男は、私の両親とも面識があるのだろうか。……あるはずないか。

「どんなペテンを使ったの」

「べつに。柊花のご両親が理解ある寛大な心を持っているってだけだよ」

 淡島が笑う。つられて笑いそうになったけど、バカにされたような気がしたので、そのまますうっと表情が消えていった。自分の表情筋は働いているのだろうか。ほっぺを触ってみるけど、そこには冷たい、女の肌があるだけだ。

「電車に乗って、揺られて、少ししたら俺の家だから」

「私、本当に何もないのよ」

 持ってきたのは、少しの衣類と化粧品と通帳とハンコと財布。あと細々したもの。実家にあるので、家具や家電は売ってしまった。淡島は「いいよ」と答えた。10月だというのに、電車のなかは冷房でやけに寒かった。乗客の視線が、私に注がれているのがわかる。目の下に痣のような隈を作って、化粧っけもない、ボサボサの髪をただひとつに結んだ、貧相で輝きのない私を。隣に座る淡島は、恥ずかしくないのだろうか。こんな私と一緒にいることが。

「いくつか訊いてもいい?」

「どうぞ」

 淡島の切れ長な瞳が私を捉えた。この人、すごくきれいな顔をしている。

「下の名前はなんていうの?」

「ミナト。漢字はなくて、カタカナ」

「いくつ?」

「25歳」

「私、これから本当にきみと住むの?」

「そうだよ」

「美也子から、私のことをどういうふうに聞いているの?」

 美也子のことだから、あまり人のことをベラベラ話すようには思えない。

「俺と似ている子がいるって、最初はそんな感じ」

「どういう点で、私ときみが似ているって思うのかな」

 それには答えなかった。きっと答えられなかったんだと思う。そんなの、客観的な美也子の意見なので、淡島にもわからないのだろう。

「大学時代からの親友。お酒に弱くて、若干世間知らず。タイプは違うのになぜか気が合う、とても大事な友人」

 美也子が心の底からそう言ってくれていることに、涙が出そうになった。彼女の態度には虚偽がない。たとえ美也子に、私に言えない秘密があったとしても、それを勘繰らせないような振る舞いをするだろう。それほど美也子は裏表がなく、隠すべき秘密は完璧に隠す女性なのだ。

「その美也子が暗い顔で、あんたのことを心配していた。俺は、あんたに会ってみたいと思った。……それだけ」

 それだけのはずがない。きっと彼は自分の気持ちを言葉にすることに関心がないのだろう。最低限の言葉だけを言って、相手が理解できなくても、勝手に会話を断ち切る。私が彼に興味をあまり持てないのも、その彼の態度や雰囲気のせいかもしれない。これからどこに住むのかとか、私の未来とか、そういうことをいま真剣に、冷静に、考えられるほど私の頭はうまく機能していないのだ。心も、そうだし。

 年下の男の子についていって、襲われでもしたらどうしましょうとか、そういうのも、ふと頭によぎるけれど水のように零れていく。もう守るべきものが私にはないのだと、改めて感じた。私、そうか、自分のことどうでもいいんだ。

 この淡島の言葉ひとつで自分の将来を投げ出せるほど、私はいま、心に隙間がある。そこからポロポロ感情とか、今までの煌きも落っこちちゃって、こんなふうになってしまっているんだ。

──俺があんたを助けるから。

 助けるという言葉を信用したわけじゃない。小僧になにができる、私は恋人を亡くして、この年で無職なんだぞ。そんな私を、きみが、どうにかできるっていうの。ボロボロの私を前にして、目を逸らさずに「助ける」という言葉を発したこの男が、奇妙でならない。よく言えたな、子どもだからかしら、と思ってしまう。あんがい私もひねくれている。現に外の世界に出られているのは、この男の手のぬくもりがあるからだというのに。