創作 「心のすきま」⑪

「柊花は大丈夫なの?」 電話越しの美也子さんはとても不安げだった。俺とのことが知られたとメールをすると、すぐに電話がかかってきた。用事があって出られなかったので、気づいたときには着信が7件もきていた。 柊花の部屋の電気が消えたことを確認して、…

ひとりを楽しむ

恋人ができて、なんだか一人の孤独な時間がだんだんなくなっているので、あえてラインの通知を切っている。無性に寂しいくせに、どこか孤独を感じている自分を嫌いになれないので、たまにはそういう時間を欲する。そしてそれは悪いことではないと思う。恋人…

創作 「心のすきま」⑩

昔から、柊花は辛いことがあっても「しょうがないね」と笑うことが多かった。 林に目立たない部位を痛めつけられても、罵詈雑言を浴びせられても、「彼は弱い人だから」と言って、へらへらしていた。周りのほうが見ていて苦しくなるぐらい、健気でバカで一途…

冬と恋

外の空気が冷たくて息がしづらい。鼻の頭が痛くなって、呼吸をするたびにツキンッとした鋭い刺激が走る。追い風が吹いて自転車は一向に前に進まない。もう前なんて見ずに後ろを見ていたい。それではダメなのか。 冬を誰かと過ごしたことは、実は今までに一度…

こぼれおちたタルト

上手にのせようと思ったのに無理だった。あわわわってなって、落っことしそうになった。二人で美味しいねって食べたけど、小さいからすぐになくなってしまった。

気持ち悪いんだよ

別れた男が好きだった曲を聴いても、愛しさとなつかしさが溢れたら、自分は前に進めていると思う。鈍い痛みを感じなければ、あるいは余裕をもってその曲を聴くことができれば、もうきみは大丈夫だと思う。 恋人ではない男とセックスして、お互い合意の上で肌…

創作 「心のすきま」⑨

山に囲まれている一軒家なので、秋になると紅葉が驚くほど美しい。同時に、道脇の溝や庭にはらはらと落ちてくる鮮やかな葉をなんとかしなければならなかった。毎年、淡島はこれらをひとりで片しているのだという。秋風が冷たいのに汗をかくのだと笑った。 そ…

創作 「心のすきま」⑧

淡島の朝は早い。6時がくるかこないかの時間に起きて、顔と歯を磨いたあと、一杯のコーヒーを飲む。そして洗濯物をして、アトリエにこもる。そのとき、私はできるなら声をかけないでほしいと言われた。集中して、周りが見えなくなるので、そういう姿を見られ…

冬の煙たい匂い

朝、すうっと冷たい空気を吸うと、心のなかまできれいになった気がする。はぁっと吐き出される白い息が、宙に消えていくのを眺めながら、煙草の煙に似ているなと思った。隣に誰かのぬくもりを感じる夜は、いつだって甘えてしまう。その人の気持ちに甘えてし…

愛はないよ他意はあるけど

沈みたくなる気持ちを沼からすくって出勤するけど、張り付いた笑顔の自分が気持ち悪くて、なんだか自分じゃないみたいで苦しい。だけど、仕事でプライベートそのままを惜しみなく表に出す人間の方が珍しいと思うから、まだ我慢しようと思える。 ホットミルク…

創作 「心のすきま」⑦

食卓を囲んでいるとき、不思議と吐いてしまいたいという気持ちは生まれなかった。美也子の料理みたい、と思った。自分で作りたくなくて、インスタントのものを食べていたけど、胃の中がかき回される感覚がしてすぐに吐いた。それからは何も食べたくなくて、…

煙たい、夕方

悲しいけれど、私にはどうしても耐えられない時間がある。それはいつやってくるのか、どういうときにやってくるのか、本当によくわからない。自分の体と心と頭がおかしくなって、勝手に泣いたりいじけたり笑ったり、何かと忙しい。忙しいのに自分がついてい…

創作 「心のすきま」⑥

いつのまにか眠ってしまったらしい。 時計がなかったので、窓の外を覗き見た。夕暮れだった。 自分の体に布団がかけられていた。淡島がかけてくれたのか。彼はどこに行ったんだろう。耳を澄ましても、さっきまでの料理の音は聴こえない。料理ができて私を呼…

うさぎの目

セックスの後の静かな時間が好きだ。体は疲れていて、息も少し浅いのに、隣の体温の心地よさとか動くと触れる冷たい足とか、寝返りをうつとき抱きしめられるあの、たまらない幸福感。それが好きだから愛する男とのセックスというのはやめられない。互いが互…

嫌なことぜんぶ

この子がいれば、私はどんな嫌なことも忘れられると思う。というぐらい、このチョコを愛している。ほんのりお酒の味と風味がして、なんだか本当に、ひとかけらだけで私の時間がキラキラする。 嫌なことぜんぶ忘れられたらいいのにと、毎日思うけど、そうした…

美味しく食べられる日

一緒にいるときに、ふとした相手の仕草や目線の先、息を吐く瞬間、手の冷たさに敏感になってしまう。なにを考えているの?そんなこと知りたいと思っても、全部知るなんてこと絶対に不可能なのに、どうして触れたいと思ったんだろう。触れたくて、知りたくて…

創作 「心のすきま」⑤

電車に揺られて30分。景色がどんどん変わっていき、田んぼや畑が広がるようになる。私の知らない土地に足を踏み入れることに少しだけホッとした。あそこは人が多すぎた。息もしづらかった。電車から降りて切符を車掌に手渡すとき、その手に大きなほくろがあ…

晴れたね

私は今、とても体力的に弱っているのだなと思う。夜になると咳がひどくなって、あまり眠れないし、苦しい。夜がとても長く感じてしまって、心細くもなる。寒くて布団のなかに潜るけど、視界いっぱいに暗闇が広がっていて、重みで息ができなくなる。誰かに弱…

ペンペン

可愛いニット帽でしょう。お気に入りで、部屋にいるときでも被っていたいくらいなんだけど、さすがにどうかと思うのでやめておいた。雨が続いているので、お出かけをしない理由のひとつができて、少しホッとする休日。その傍らで、時間を持て余しているので…

つまらないね

雨ばかりでさ。 だけど袋をあけて、このパンを見たとき、「ああ、可愛い」って言葉が口から自然と出てきた。それだけで、希望に満ちている。私の生活は、希望でいっぱい、キラキラだ。ぜんぶ食べてしまって、この笑顔が私の体の一部になっているのなら、早く…

甘い物食べなきゃ

多くを考えすぎると疲れがたまるので、甘い物を食べながらダラダラしなきゃ。そう思ってあたたかい紅茶を飲んだ。フロリーングの床から足の裏に冷えが伝わって、あんなに寒かったのに、体の芯がいっきにぬくもった。つま先はどうだろうと思って触れてみると…

ぽっかり

朝方に何度も目を覚ます。ひどく怖い夢を見たせいかもしれないし、開いた窓からの風が冷たいせいなのかも。アイフォンのホーム画面を見ると4時だった。深く眠ることができず、それに苛立ちながら目を閉じる。時間だけが流れていく。きっと、10分も経ってない…

創作 「心のすきま」④

電話越しで答えに追いつかない質問をぶつけてくる両親への言い訳とか、子どもみたいに淡島に手をひかれて改札口を通るときの羞恥心とか、これからどうなるのかわからない賭けみたいな自分の人生とか、なんだかいろいろなことが、他人事のようだった。 電話で…

悲しいよね

本当に些細なことなんだ。友達との予定をキャンセルされただけのこと。課題が忙しいんだって。しょうがない。私には彼女の余裕の無さがわからないし、彼女の代わりに課題をやってあげることもできない。でも、楽しみにしていたの。本当だよ。楽しみにしてい…

子どもみたいに

島にきた。 のどかな波の音と、風と、光。ここには音がたくさんあるのに、やけに静かだと思った。静かで、生命力に満ちていて、力強い。透明の空気を吸い込んで、肺の底まで綺麗になれた気がした。 「こういうところで、ひとりで住んで、死にたい」と笑いな…

創作 「心のすきま」③

その男は、とつぜん、私の目の前に現れた。 貯金もそろそろ底をつきそうだったので、ガス会社だの電力会社だの面倒くさい数々の解約をし、大家さんにも連絡をしてアパートを出ていくことを話し、行くところも目的もないので、実家に戻るという苦渋の決断をし…

10月ですね

あっというまに、10月になっていた。薄い掛布団の中でくるまりながら、じっと朝がくるのを待つ。だけど窓を打つ雨音で、今日の天気が私にとって喜ばしくないものであると気づいた瞬間、一気に心がどんよりした。雨の日が好きな人には、申し訳ないのだけど、…

ゆらゆら

一人暮らしの浴槽は、少し狭いのが難点。 体育座りが基本の体勢。足を伸ばすことができない。

眠れないときは

恋人と10日間も連絡をいっさいとらないのは、もう、私たちの間では当たり前になっている。お互いにあまり興味がないというか、どこかへ行きたいというそれぞれの思いがなければ「週末ここに行こう」というラインもない。あくまで恋人なので、どうでもいいこ…

こういうのって

職場も友も祖父母もみんなが私のことを心配している状況に、正直に言うと、慣れないでいる。今まで、私のこの現状に対して心配されたことがない、とまでは言わないにしても、ここまで「死んでしまいそう」「失踪しそう」「生気がない」などと口をそろえて言…